「Trick or Treat!」
 夕暮れの閑静な住宅街に、子供たちの元気な声が響いている。それぞれに趣向を凝
らした仮装で、踊るようにはしゃいで通りを歩いている。
 今夜はハロウィンだ。
 子供たちに視線を遣りながら、レオンはある家の前でバイクを停めた。
 小さな庭のある一階建ての家。
 レオンはバイクのエンジンを切った。ヘルメットを脱ぐと、バイクに跨ったまま家の様子を
窺う。
 周囲のすべての家は、ハロウィン仕様の飾りつけがされている。
 目の前のその一軒だけが、普段と変わらぬ様子で白けムード満載だった。玄関にも庭
にもポストにも、かぼちゃのオブジェひとつ見つからない。
 玄関前の敷地には、青々とした芝生が敷かれている。芝目は綺麗に整えられ、スプリン
クラーが散水していた。
 部屋の窓が開いている。住人は在宅しているようだ。
 バイクから降りると、レオンは用意していたウィッチ帽を頭に乗せて、その家の玄関へと
向かった。
 ドアの前に立つと、逸る気持ちを抑えてチャイムを鳴らした。
 耳を澄ます。コトリとも音がしない。人が近づいてくる気配もない。
 しかしこれは想定内だ。
 住人は、セールスの類には徹底的に無視を決め込むし、近所づきあいはないに等しい。
 おそらく今も、寝たふりでもしているのだろう。
 それならば、とレオンは次の手を考えた。
 小さな咳払いをひとつ。
 コンコンと、玄関ドアをノックした。
「Trick or Treat! ねぇ、お菓子ちょうだい。くれなきゃ呪いをかけちゃうぞ」
 鼻にかけた高い声で、部屋の中の住人に呼びかけた。
 そうしてドアに耳を当てて、中の様子を窺う。
 しばらくすると、億劫そうに歩いてくる足音が近づいてきた。レオンは吹き出してしまいそ
うになるのを必死に堪えていた。
 ドアの前で胸を張って、仁王立ちする。悪戯を仕掛ける子供のような気持ちで待った。
 ややもして、中からドアが押し開かれた。
 思っていたよりもやわらかな表情で、いや、明らかに無理をした作り笑みの住人が目の
前に現れた。
 こんな彼、クラウザーの顔は初めて見る。
 珍しいものを見る目で、レオンはまじまじと彼を見詰めた。
 クラウザーもまた、驚いたように双眸を見開いて、こちらを凝視してきていた。
 その手のひらの上に、ポップ柄の包みのキャンディーとチョコレート菓子が乗っている。
 それを手にしている人物と菓子のあまりのアンバランスさに、レオンは耐え切れなくて、
ぶっと横を向いて吹き出した。
「…………ケネディ…」
 眉間にしわを寄せたクラウザーが、唸るように低い声を放った。
 ようやく状況を把握したようだ。
 涙をためた目を拭いながら、レオンはクラウザーを見返した。
「なかなか優しいとこあるじゃないか。今日のために用意していたのか? なのに誰も訪
ねてこなかったんだろ?」
 図星だったんだろうか。
 むっとした顔をして、クラウザーが、ぐっと手のひらを握り締めた。舌打ちをして、くるりと
背中を向ける。
 部屋へ入っていくその大きな背中を、レオンは急いで追った。
 ほんとうは、その背中を抱き締めてやりたい衝動に駆られていた。子供たちが来るかも
しれない、と菓子を用意して待っていたのだ。この男が。
 けれど、レオンのそんな気持ちを知らないクラウザーは、顧みることなく歩いていく。
 思っていたとおり、部屋の中は殺風景だった。
 さっきまでリビングにいたのだろうか。テーブルの上に、開いたままの新聞が無造作に
置かれている。
「なぁ、クラウザー。お菓子を持って出てくるってことは、今夜が何の日かってことはわかっ
てんだよな?」
 くだらない質問をしていると思う。それでも尋ねずにいられなかった。
 クラウザーはレオンの問いかけに答えず、リビングの奥のキッチンへと入っていく。冷蔵
庫を開け、黙ったまま中を覗いている。
 徹底的に無視されて、レオンは大袈裟に肩を竦めた。だが、すぐに気を取りなおす。
 顔を引き締め、今度は至って真摯な口調で話しかける。
「てか、こんな大切な日にいったいなにやってんだよ」
 そう言うと、クラウザーの肩がぴくりと動いた。
 なんだ、といったような顔をして、肩越しに振り返った。
 レオンはわざとらしくため息を洩らして、首を左右に振った。
「残念だよクラウザー。すっかり忘れてるなんて…」
 唇を噛んで、横を向いてみせる。
「レオン?」
 慌てたように踵を返して、クラウザーがこちらのほうへ歩いてきた。
 目の前まで来て、手を伸ばしてくる。が、触れてはこずに、どうしたものかと手を上げ下げ
している。
 力強く両肩を掴み、顔を覗き込んでくるくらいしろよ。そうしたら、思いっきり抱きついてや
るのに。
 そんなことを考えながら、レオンは演技を続けていた。くっ、とつらそうに眉根を寄せてみた
りして…。
「…すまん。教えてくれ。俺たちにとって……どういう日だったのか…」
 痺れを切らしたのか、クラウザーが申し訳なさそうに問うてきた。
 ちらりと視線を向ける。困り果てたように眉を下げて、クラウザーは肩を縮めていた。
 レオンは、きっと強い目線でクラウザーを見返した。
「今夜はハロウィンなんだぞ」
 それだけではわからないというように、クラウザーが首を傾げる。
 レオンは込み上げてくる笑いを懸命に押し止めて、最後の仕上げだとばかりに畳みかけ
た。
「なに暇そうにしてんだよ、仕事しろよ。さっさと近所を巡ってこい。でないと、おまえの頭を
くり抜いてやるぞ。この……“Jack-o'-lantern”」
 言い終えて、レオンはクラウザーの顔を見ながらペロリと舌を出した。
 呆然としていた顔が、意味を理解した途端にみるみる険しく歪んでいく。首まで真っ赤に
して、わなわなと震え出した。
 あれ? ちょっと冗談がすぎたかな。
 恐い顔が半端なく恐ろしいんだけど…。
「言いすぎた、ごめっ……あっ!」
 咄嗟に謝ろうとして、顔の前で合わせた手がクラウザーにとられる。
 強い力に、レオンは焦った。まさかとは思うが、クラウザーを本気で怒らせてしまったのだ
ろうか。
「ごめんって。マジふざけすぎた。ちょ…痛いって、クラウザー」
 わし掴みにされた手首は、クラウザーの手形がつきそうなほどだ。
 振り解こうとすると、そのまま突き飛ばされた。
「わぁっ…!」
 背中がなにか弾力のあるものにぶつかって跳ねる。ソファに深く身体が沈み込んだ。
 顔に影が差して見上げると、大きな手が伸びてきた。
 逃げようとしたが間に合わず、顎を掴み上げられてしまう。
「…ぐ」
 近づいてくる顔は険しいままだ。
 恐れさえ感じる表情のクラウザーから目を離せないでいると、硬くて熱い感触を唇に感じ
た。
「…んっ…」
 咬みつくように唇を合わされていた。
 手で顎を割り下ろし、すぐに唇を開かされる。
 熱い舌先より先に、レオンの口内へ入ってくるなにかがある。
 レオンは、びくっとして目を見開いた。なにかを企むように、クラウザーの双眸が細められ
た。
 甘くて熱いそれを受け取らされる。
 レオンの舌の上に乗ったそれが、クラウザーの舌で転がされる。
 始めは優しく、それを撫でるように。やがて、それが口内で暴れるほどに激しく、舌を絡め
とられていく。ふたりの間を、それが行ったりきたりする。
「ん…っ……ん…は…」
 唇の繋ぎめから、レオンは必死に呼吸をする。そのたびに、甘い香りが鼻をくすぐった。
 カラ、コロ、という音と、湿った水音が部屋に響く。
「ん……くっ」
 唇の端から甘い雫が零れて、レオンは喉を鳴らした。
 ゆっくりと唇が解放される。
 レオンは肩で息をしながら、ぼんやりと視線を上げた。
 突然キスするにしても、もうすこしやりかたというものがあるだろう。
 そう思いながら、目で非難する。
 唇をゆっくり舐めていたクラウザーが、ふんと鼻を鳴らした。
「菓子をもらいにきたんだろう?」
 嫌味っぽく言って、顎をしゃくり上げる。
 レオンはなにかを言い返そうと口を開いたが、うまい言葉が思いつかなかった。ばつが悪
くなって、はぁとため息をつく。溶けかけたキャンディーを奥歯で噛み砕いた。
 クラウザーがレオンの隣に腰を下ろしてきた。
 横を見ると、かろうじて頭の上に乗っているウィッチ帽を奪いとられた。鼻先が触れるくらい
に、ずい、と顔を寄せてくる。
「呪いをかけられないように魔女狩りとでもいこうか。ハロウィンの夜に“ジャック・オ・ランター
ン”…かぼちゃの化けものに襲われる…なんていうシチュエーションで楽しむのもいいだろう」
 根に持ってやがる。
 だけど。
 言いすぎたと思うから、レオンはクラウザーのくだらない提案に乗ってやることにした。
 うんうんと小さく頷くと、両腕をクラウザーの首にまわした。
「ペニスの生えたかぼちゃの化けものか…。そりゃまたグロい」
 ニッ、と笑うと、いい加減にしろとばかりに後ろ髪を引かれた。
 唇にキスが落ちてくる。
 さっきのキスとはちがう優しいキスが。
 勝ち負けが決まらない。
 クラウザーとはこんな関係がいい。
 レオンはもっとキスを求めて、クラウザーを抱き締める腕に力を込めた。

 
 
<END>

   2010,10up

……ごめんなさい。なんだかわけわからな…。

inserted by FC2 system